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『うちのくろ』PartⅡ2007バージョン【倉本悦子】

倉本悦子  2007年11月

 

私は 子供の頃 「くろ」 

という名の犬を飼っていた。
仔犬の頃は 小熊のように丸くてコロコロとした 

かわいい雑種犬であった。
私が小学1年生の時に 我が家にもらわれてきた彼は 

私のちょうどよい遊び相手だった。

 
そんな彼との楽しい日々を 

『うちのくろ』 という題で 作文に書き、
私は下野小学生作文コンクールで佳作に入賞するという

人生初の快挙を得て、 
大人たちに ほめられまくった 思い出がある。

 
だから、院長からコラムのはなしを いただいたとき、 

『うちのくろ』 にしようと決めた。

 
 私が小学生だった当時は 今ほどペットに関しての情報はなく、
また、犬の家庭内における存在は薄かった。
餌はビタワンと ヒトの残り物の混ぜゴハンだった。

 
そして、我が家の動物には 動物病院は 

とてもとても 「遠い存在」 であった。
犬を飼う者の エチケット? として毎年、

狂犬病の集合ワクチンは接種していたが、
それ以外の予防に関しては 皆無であった。

 
当時、フィラリア予防薬は 

現在のような月に一回投与ではなく、 
毎日投与で料金も決して安くはなかった。
私の月の小遣い 700円から800円への

値上げが難しかったことを考えると 
我が家の家計において フィラリア予防薬の捻出は 

厳しい状況であったと思われる。
幸い 「くろ」は 丈夫な犬で病気らしい病気一つすることなく、 

動物病院に行くこともなかった。

 
 そうして、月日は流れ、はれて わたしは

獣医大学の学生になった。
「 獣医師になろうと思ったきっかけは? 」 

と聞かれれば、 間違いなく 「くろ」の存在なくして語れない。
私にとって くろは 「特別な犬」 だった。

 
そんな彼が13歳のころに咳をするようになった。 

私は 大学2年生であった。
家族みんなで くろを 初めて 

近所の動物病院へ 連れて行った。
彼は 恐怖で  パニックをおこし 失神した。 
診察すら ままならなかった。

 
彼は フィラリアに感染し 

心不全を 起こしていた。

 
予防できる病気を 予防してやれなかった事と 
学生で まだ 「くろ」 に何もしてやれない自分が 

もどかしく 情けなかった。 
はやく一人前の獣医師になって 

「くろ」 を治療するのが 目標になった。

 
しかし、 わたしが 獣医師になるのを 

「くろ」 は 待ってはくれなかった。

 
大学3年の冬、バレンタインデーの朝に 

彼は いってしまった。

 
私と母は 泣いた。 
父と兄は 静かに彼に土をかけ 庭に埋葬した。
ひっそりと 家族みんなで 彼を 弔った。

 
それ以来、誰も 犬を飼おうと 言い出さなかった。
みんな 「くろ」 を 忘れてはいなかった。

 
 その後、私は 獣医師になり 

ある動物病院に勤めるようになった。
そして、半人前から ようやく 飼い主さんたちから 

先生と 言ってもらえるようになった。
でも、まだ ピンと来てなかった。 

獣医師になった気があまりしてなかった。

 
 そんなある日、私は 1匹の犬と 出会った。
まっ黒な 「 クロ 」 という名の犬に。
性格の悪さが災いし、 

いろいろな 家庭を タライ回しにされたあげく  

動物病院にやってきた。
飼いきれないので、 病院で 

「処分」 してほしい  

とのことだった。
確かに 彼は 無駄吠えし、トイレを 覚えず、

好きな時に 好きな所で排泄し 自分で踏みつけ
しかると 逆ギレし、 咬みつく 

とんでもない犬だった。

 
だた、 愛嬌だけはあった。 
散歩と 食事が 何よりの 楽しみに して生きているところが 

亡き「くろ」と重なった。

 
そんな 「クロ」を 

家族に 迎えようと言い出したのは 父だった。
あまり 動物に関心がなさそうな父だったが、

この一言は 大きかった。
そうして、我が家に 

2代目 「 クロ 」がやってきたのだった。

 
 アメリカン コッカースパニエル という立派な純血種であったが、 

我が家では 外飼い にした。
しかし、 そうすることで トイレ問題と

無駄吠えは 一気に解決した。
以前は 室内で ケージに入れて 

飼われていた。

 
清潔に保つために、 いつも 5分刈り カットで、 

お父さん 床屋である。
また、 愛情をもって接するうちに 

逆ギレも しなくなっていた。
彼には 以前のような 

処分されるような問題は なくなっていた。

 
 私が 動物病院に勤めていることもあって、 

動物病院は とてもとても「近い存在」 になったが、
自宅で 自分が採血したり、注射したりするため 

我が家の動物たちを 実際 病院に連れてくる機会は
少なく 我が家の動物たちには 動物病院は 

やはり 「遠い存在」 であった。

 
そうして、「クロ」が 我が家に来て6年がたち  

彼は7歳になった。
この夏、 いつも元気だったクロの体に 

異変がおきた。
食欲はあったが、いつもより 少し元気が なかった。
いつのまにか クロの 

全身の リンパ節が 大きく腫れていた。 
いやな予感がした。
すぐに アンドレ動物病院に 連れて来て検査をし、 

リンパ腫という 悪性腫瘍であることが判明した。

 
・・・ショックだった。

 
でも、わたしは 家族には 冷静に 

クロの病状と これからどうなるのか を 説明した。
手術の対象ではないこと、 

完治しない病気であること、 

抗がん剤治療、 

残された時間・・・・・・

 
母は泣きだし、 

父は 黙り込んだ。

 
そして、父が言った。 

「お前が 自分で治療しなさい。獣医なんだから」 

と。 

 
その時に、 自分は獣医師であること、 
以前の何もできなかった自分と違い  

リベンジするチャンスなんだと気づいた。
獣医師になる夢はかなえられたけど、

自分のペットを獣医師として治療する夢はまだ かなえてなかった。

 
そして、 クロの抗がん剤治療が スタートした。
1週間毎に抗がん剤を打つため、 

車で片道 1時間以上の道のりを私と共に 通勤した。
狭いケージに入れられるのが 嫌いな彼は 

車中で 吠え続け、その後、疲れて大人しくなった。
抗がん剤は静脈から投与するため、 

毎回点滴するために 留置針を入れる必要がある。
しかし、彼は 暴れたり 嫌がったりしなかった。
また、 病院のスタッフに 

うなったり 牙をむく こともなかった。

 
何回か連れて行くうちに学習したらしく、

自分から 車に乗り込む ようになった。
帰りの車内では 朝と違って 静かにケージ内で 横になり、

驚くほど治療に協力的であった。

 
しかし、抗がん剤治療は 彼にとって少し辛い。
投与をした後の4~5日は吐き気と食欲不振、

白血球減少の 副作用が発現する。
食いしん坊な彼が 食事を拒否する姿に 

家族は心を いためた。
私は、 吐き気止めや 白血球を増加させる注射をしたり、

血液検査をしたり、彼の治療をした。
父や母は気持ち悪そうな 彼を さすったり、 

ごちそうの 鶏肉で 励ますのだった。

 
この治療は 動物、 飼い主、 獣医師が 

三位一体となって頑張らないといけない 治療である。

 
クロの治療で わたしは 獣医師になって 

本当に良かったと、 
そして彼を 治療できるまでに 成長した自分に 

初めて誇りを 感じた。

 
これまで、院長先生、副院長、

スタッフ、飼い主さんたち 
そして、たくさんの動物たちに勉強させてもらって  

今の自分がいる。
決して一人で ここまで来たわけではない。
感謝するべき人たちが 

たくさんいる。

 
助けているつもりが 

助けられているのは 

実は自分なんだと 気付かされた。

 
現在、 クロは 抗がん剤治療のおかげで 

体調は 安定している。
でも、私たち家族と クロに残された時間は 

長くはない。
短くても 有意義な時間を 

いっしょに 過ごせればいいと 思っている。

 
 私は 今 、子供のころからの夢を かなえるべく 

がんばっている。
そして、 ペットを飼う 

飼い主さんの気持ちも 理解できる。
病院は不安なところである。
ペットの病気も心配だし、通院や治療費も負担になる。
だから、 飼い主さんの話に耳を傾け 

できるだけ 不安をなくせるように できればと思っている。

 
すべての 動物、飼い主さんに

私は 獣医師として 何が手助けできるのか、

を 考え
気軽に 相談できる 獣医さん になれれば いいな 

と思っている。

 

 
倉本

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